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隅谷 尚子・ステファン ラヴェル

TWO FINGERS OWNER

クラフトビール好きな人の中で有名なInstagramアカウント
「@sekainobeer」と「@nao.live」を運営している二人。
2019年2月クラフトビールが好きすぎて
池袋にクラフトビールの専門店「Two Fingers Craft Beer」をオープン。

ホップがたくさん仕込まれたペールエールが、インドへ来るより前から既に英国で存在していたのに「インディア ペールエール」の「インディア」はどこから来たのだろうか?
インディア ペールエール(IPA)の語源はよく論争になりはっきりと分かっていないが、「インディア ペールエール」の「インディア」はマーケティングが由来したと言われている。

ペールエールというスタイルが生まれる数十年前に、英国のビール醸造所はホップをたくさん仕込んだ樽熟成のビールをインドへ輸出していた。最初はポーターやスタウトのような黒ビールとアルコール度数の高いストロングエールが輸出されていて、18世紀に入ってペールエールも輸出され始めるようになった。
周知の事実だがインドの気候は英国より暑いので、英国でよく飲まれていた黒ビールやストロングエールより、ペールエールのようなすっきりとしたライトなビールをインド人は好んだ。

19世紀始め、ビール輸出会社にとってインドは非常にもうかる市場だったので、四つの大きな酒造会社がインドでのビール販売のマーケットシェアを奪い合っていた。
インド人に最も求められたビールのスタイルはペールエールだったので、ある会社はインドでの一番美味しいペールエールという称号を獲得するために研究をしていた。ペールエールを一番美味しい状態でインドに届けるためにレシピやテクニックなどは少しずつ調整され、英国で飲まれていたものと異なるペールエールが生まれた。
そして、1850年代にインドに滞在した英国人が帰国してきた時、インドで飲んだあの美味しいペールエールが恋しくなり、「インディア (インドの)ペールエールを飲みたい」という声がどんどん増えていった。それからすぐに英国でもIPAというスタイルが流行った。

しかし、IPAの流行りはあまり長続きしなかった。20世紀初めに戦争、給食、禁酒法、そして大手のビール会社の出現によりIPAは消滅しそうだった。ビールのマーケットは安いラガーに独占されていった。

1970年代にカスケードという新しいホップの品種を使い、カリフォルニア州にある2〜3つのブルワリーがIPAというスタイルを復活させようとした。IPAを復活する活動の先頭に立つブルワリーは「アンカーブルーイング」と「シエラ ネヴァダ」。最初に復活したIPAはアンカーブルーイングの『Liberty Ale』とシエラ ネヴァダの『Celebration Ale』と『Pale Ale』だった。このビールがなければ、私たちが今楽しんでるIPAがなかったかもしれない。感謝するべきだね。

今回のIPA歴史の話がここまでだが、IPAの歴史をもっと知りたい方にMitch Steeleの『IPA: Brewing Techniques, Recipes and the Evolution of the India Pale Ale』の本を勧める。

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IPAはどうしてインディア(I)ペール(P)エール(A)という名前が付けられたのか?
それは、イギリスからインドまでビールを送るためにその時代の醸造家が、天然防腐剤であるホップをビールにたくさん仕込んで「インドまで届けるペールエール」という新しいスタイルのビールが生まれたから。という話をよく耳にするかもしれない。

しかし、これはIPAの全ての所以ではない。
ホップがたくさん投入されたビールは、インドまで送る必要性から生じたものではない。インドがイギリスの植民地になる数百年も前からホップがたくさん投入されたビールは飲まれていた。ビールを保存するためにホップをたくさん使用する方法はもっと前から知られていた。そのビールはIPAではなくて別の名前で呼ばれていたのだ。

では、IPAはホップをたくさんビールに投入する方法から生じたスタイルではなかったら、何が由来で現れたのか?
それは実はホップではなく、麦芽にあるのだ。
ペールモルト麦芽の発達が由来である。
つまり、IPAはペールモルト麦芽から生まれたスタイルである。

では、ペールモルト麦芽の発達の前に我々の祖先はどんなホッピーなビールを飲んだんだろうか?

その時代によく使われた麦芽は麦わら、木材やピート(泥炭)などで焙煎された。このような燃料を使うと火の温度が管理しにくくなり、その麦芽が泥炭や煙のような香りをし、焦げ茶色の特徴を持っていた。樽で熟成するテクニックは、嫌な味や色を落とすために良い方法であった。そして、樽熟成させビールを保存するには、天然防腐剤であるホップをたくさん仕込むことが最適な方法の1つであった。

英国が産業化されている間、ペールモルト麦芽は1700年代に発展した。石油・石炭精製で最後に得られるコークスの発達は特に重要であった。麦わら、ピートなどより燃料としてコークスの方が焙煎温度の管理がしやすく、樽熟成させなくても色がきれいな美味しい麦芽を作ることができた。このペールモルト麦芽が発展してから多くのビール醸造所がすぐにこのきれいな麦芽を使いたいと思うようになった。現在皆さんが楽しんでいただいているクラフトビールのほんとんどがペールモルト麦芽で使われている。

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